浅見 泰司(あさみ・やすし)
東京大学空間情報科学研究センター教授
1960年生まれ
東京大学工学部都市工学科卒
ペンシルヴァニア大学大学院地域科学専攻博士課程修了
専門:都市住宅学,都市計画,空間情報解析
建物に対する関心が、近年ややネガティヴにクローズアップされている。住まいの周辺環境についても、今年6月に「住生活基本法」が施行され、ようやく注目を集め始めた。しかし、住宅を取り囲む生活環境=住環境は、今も昔も変わらずそこにあったはずである。〈住環境〉が、いかに忘れられ、なぜ再び注目を集め、またそれは今後どのように変化していくのか。〈住環境〉研究の先駆者である東京大学の浅見教授に話を聞いた。
自信を失った都市計画
--東大のウェブサイトに掲載されている浅見教授の専門分野は、「居住システム」「空間情報解析」「都市住宅論」「人間行動・心理分析」「形態分析」など多岐にわたっていますが、我々の住まいや生活環境に直接関わるのは「居住システム」ですか?
浅見
私はぜんぶ関係あると思っています。私の関心は〈住環境〉なんですが、〈住環境〉と聞いて、誰もがパッと解るわけじゃないでしょう。だから、たとえば住宅政策とか都市計画とか、人間行動分析といった言い方をした方が、学生なんかには解りやすいんですよ。
--ご著書で「できる限り定量化する」(『住環境』序文)と書かれていましたが、普段の研究は、データ分析が中心になるのでしょうか。
浅見
たとえば、街の住みやすさや、景観がきれいかどうかというのは、主観的・印象的な評価ですよね。私はこうした評価が悪いと思っているわけではありません。ただ、人によって評価が違いすぎるのは良くないので、可能な限り定量的評価を取り入れようということです。
--人によって評価が違いすぎると、どういう問題が起きるのでしょう。
浅見
いま、都市計画に携わっている人たちが、自信をなくしてると思うんです。昔は、都市計画はこうあるべきだという考えの基で、上の立場から道路計画やゾーニングなどをおこなっていた。ところが、最近は社会が『ああ、そうですか』と飲み込んでくれなくなってきました。『なんでそうなるんだ、どうしてここの容積率が300%なんだ』と批判してくるわけです。決定の段階で、『こっちが400%でこっちが200%だから、ここは300%かな』といった感覚的な決め方をしているから、批判にきちんと答えられないんですね。
--それでは自信をもって答えられるはずがないですね。
浅見
きちんと答えられずに、徐々に後退していくことで、結果として〈住民参加〉というのが始まりました。従来の都市計画が上から押さえつける形だったものに対するアンチテーゼでもあるので、これ自体は評価できます。いまは何をやるにしても、一般住民の意見を聞こうとする。良いことではありますが、住民がいろんなことまで洞察した上で正解を知っているわけではなくて、表面的な情報で判断してしまう危うさもある。民主制を重んじる一方で、定量的に評価をして、科学的な見解を示すことが重要だと思います。それが『住環境』という本を書いた理由ですね。
--都市計画に対する批判が最近になって表立ってきた背景には、何があるのでしょう。
浅見
バブルの前までは、容積率が300%でも400%でも、いまほど大きい足かせではなかったんです。不動産バブル以降、大きい建物を建てるようになって、容積すなわち賃料、収入という考え方から、容積率に対する目が厳しくなってきた。80年代の後半くらいから、容積率を緩和して欲しいという要望が増えてきました。
--質問に答えられなければ、要望も断れませんね。
浅見
それと並行して、市場の怖さが解ってきたことから、都市計画の人たちが経済学者の意見を聞くようになってきました。経済学の考え方は、市場の歪みを修正するというものです。高すぎるから規制だ、というのではなく、混雑税をとるべきだとかですね。ところが、物理的な都市計画に携わっている人は、そういう間接的な方法で物的な空間が変わることを信頼できないんです。『そうかもしれないけど規制はしよう』と。ここでコンフリクトが生じます。産業界と経済学者の両方から、『なんでこの規制の値に決めたんだ』と言われるわけです。『こういう定量的な結果が理由です』と答えられずに、『過去にこうやったから』としか言えないのが問題なんですね。90年代の後半から、『何%ならだいじょうぶなのか』という研究がおこなわれて、ある程度は判ってきたけど、まだ300%と400%の違いを完全に判別できるほどではありません。
〈地域住民〉の再生
--産業界、経済学者と登場してきましたが、消費者はどうでしょう?
浅見
先程、〈住民参加〉の話に少し触れましたが、住民が〈住環境〉に対してものを言える状況ができたというのがあります。それ以前は、たとえばマンション紛争に対して、アクションを起こせるような法的な手立てがなかったんです。
--住まいやその周辺環境というのは、大昔からあったはずなのに、どうして最近まで住民にはアクションを起こす手立てがなかったのでしょう。
浅見
近代都市計画の枠組みは、周辺と調整して何かするというのを切り離して、すべてを個々の敷地と公との関係にしてしまったんです。つまり、建築確認をするにも、その敷地だけを見ている。その敷地の中で、『これだけは守りなさい、あとは建てていいよ』と。昔なら、建てる権利はあるけど隣に気兼ねして建てない、ということがあった。都市計画ができてからは、土地が細分化されて、非常に小さい自分の敷地だけを考えるようになりました。〈住環境〉が省みられなくなると同時に、〈住環境〉について何かを言うための手立てがなくなったわけです。
--なるほど、みんな元々は〈住環境〉の感覚を持っていたけど、都市計画によって一度忘れてしまい、そのせいで〈住環境〉を守ることもできなくなってしまったんですね。それが最近になって、新しい形で復活しつつあると。
浅見
建築協定や地区計画の制度は、制度発足当時には画期的でした。ただ、建築協定は住民全員が同意しなければいけないし、地区計画も8〜9割が同意しないと立てられない。強行的に立てられるものは、害もないけど益もあまりないものだけです。最近になって、景観に関する法律ができたり、住民たちで都市計画を提案する制度ができたり、あるいは連担建築物設計制度といって、敷地をいくつかにわたって総合的に考えるような仕組みができたり、住環境について若干はものを言えるようになりました。もう一つは、バブル以降の建設ラッシュで地域住民が危機感を覚えたというのがあります。
--お話を伺う中で〈地域住民〉という言葉が特に新鮮に響きます。私たちはついつい、売り手・買い手の二元的な図式で考えてしまいがちなんですが、〈住環境〉という概念は常に〈地域住民〉と共にあるんですね。
浅見
そうですね。国立の例なんかだと、地域住民が、地域のステータスを守ろうとして、ああいうことになった。でもあれは、やり方がまずかったと思います。建築協定なり地区計画なりを、最初から、現行の法制度のもとで用意しなければいけなかった。事後的に言っても通らないんです。
--そういうことはたくさんあるでしょう。
浅見
ありますよ。ただ、ああいう事例を通して、地域住民は賢くなっていくんだと思います。事前に対処しなければいけないということを学んでいく。
--「事後」の建設反対運動は無意味なのでしょうか。
浅見
建設反対して、若干は譲歩してもらえるかもしれないけど、建つことは建つわけですよ。建たないという選択肢はほとんど有り得ない。事前に地区計画を作っておけば、業者がその規制の中でも費用を払うに値するか判断して、用地取得をやめるかもしれないけど、事後的には無理です。
賞味期限を教えない食品
--買い手のことも伺いたいのですが、家を買う前に都市計画図を見るという人は多くありません。家を買う人が、事前にできること、知っておくべきことは無数にあると思いますが、特に重要なことは何でしょう?
浅見
家を買うときに、『今はどうなのか』に加えて、『最悪どうなるか』が必要です。住民相手なら、『最悪こうなるから、地域住民は事前にこうしなければならない』というのが必要な啓蒙活動であって、もしかしたら、ビジネスにも結びつくことかもしれません。もちろん、賃貸なら短期的に、いまどうなのかが判ればいいですけどね。
--最悪のリスクを知ることができるというのは、買い手として当然の権利だと思います。そのお話に関連するんですが、弊社の「生活環境評価書」を消費者や地域住民が見る場合は、関係としてシンプルなんです。一方で、発売当初苦労したのは不動産の売り手に評価書を活用していただく場合に、短所を隠して欲しいという要望が多かったことです。しかし評価書内容がバージョンアップするにつれて、次第にご理解いただけるようになってきました。そして我々が、これら売り手の意識変化を感じ始めた時期と重なるようにして起きた世間を騒がす出来事として、耐震偽装の事件がありました。あの事件以降は、長短含めたスペックをきちんと公開した上で売っていこうという企業が増えたと実感しています。リスクやハザードについてオープンになっていくのは、必然的な流れと考えて良いのでしょうか?
浅見
たとえば、我々が最近問題視してるものに、〈ドミノマンション〉というのがあります。最初に、一つマンションを建てる。すぐ南にもっと大きいのを建てる。さらに南にもっと大きいのを……というふうに建てていく。最初のマンションを買った人はたまらないですよね。実際に、東海道線の一部のエリアで、こういう開発がなされてるんです。でも今後は、売り主が、『もう売っちゃったんだから知りませんよ』というのはできなくなると思います。『最悪はこうなる』『平均的にはこうなる』というのをある程度知らせることが必要になるし、それを知らせないのは、住宅は耐久消費財ですから、食品に賞味期限を表示しないようなものです。消費者も、そういう情報を求めるようになるでしょう。オープンにした方が、後から責任追及をされなくなるから、長い目で見ると業者にとってもプラスになるはずです。
不動産鑑定の限界
--不動産鑑定は、そうしたリスクなどを含む〈住環境〉の性質を語っているでしょうか。
浅見
不動産鑑定というのは、価格を決めたいわけです。価格に直接関係する要素を見て、判断していく。たとえば安全性についても、落差の程度が小さければ、価格にはさほど影響しません。少々のリスクは、利便性で補えますからね。ただ、不動産鑑定も、直接治安ということではないけど、〈土地柄〉のようなことで調整はしています。どういう住民が集まっているか、といった、住民のブランドのようなものがある。明示的には入れにくい情報の代わりに、そういうものが入ってるんです。
--明示的には判らないながらも、性質に近いことは判ると。
浅見
ただ、不動産鑑定では、『何がいいからそうなんだ』ということが言えないんですね。利便性が良いといっても、具体的に何が良いのかは語られません。そういうところが、細かく記述された生活環境評価書の存在意義じゃないかと思います。
消費者はそれぞれニーズを持っていて、その〈住環境〉が自分のニーズに応えているかどうか、また、将来どうなるのかを知りたい。気にしているのは100ある要素のうちの10だけかもしれないけど、この生活環境評価書は、いろんな興味に対応できるように、これだけ厚くなってるんですよね。こういう細かい具体的な内容は、不動産鑑定の評価では判らないことです。
--〈住環境〉という考え方に対する認知は広まっていると感じますか? それとも、まだまだ不充分でしょうか。
浅見
充分かどうかというのは、ちょっと難しい質問ですね。ただ、実際にある自治体から、地区計画の規制の仕方についてアドバイスを求められて、したことがあります。敷地の分割とか高さとか、いろんな規制があるわけですが、そういうことに関するアドバイスを、自治体が求めるようになってきています。
--私たちが浅見教授のお話を伺いに来ているのも、そうした現象の一つなのかもしれません。アドバイスを受けた自治体は、もし批判を受けても自信をもって答えられるでしょうね。公平で科学的なアプローチこそが、事後のチェックに耐え得るものなのだと、あらためて思いました。最後に、浅見教授の最近の研究について教えてください。
浅見
最近私が関わっているものでは、景観に関わる研究があります。景観を保存しようとすると、他の経済活動ができなくなるという犠牲を払う。どういうものが保全に値して、どういうものが開発してもかまわないと許容できるのか調べようという研究会があって、私もそれに参加しています。
それも大変興味深いテーマですね。本日は有り難うございました。
※生活環境評価書はかつて販売していた商品です。